2009年07月03日

中華人民共和国上海市に位置する博物館

上海博物館(シャンハイはくぶつかん)は中華人民共和国上海市に位置する博物館。

上海の博物館はこのほか上海自然博物館、上海昆虫博物館、上海科学技術博物館、一大会址博物館などがあるが、単に『博物館』といった場合、地元では上海博物館を指す。

1952年に旧租界の競馬場跡地に上海市立博物館が建設された。その後数回の移転が繰り返されたが、最終的に1993年、人民広場に移転が決定し、総延べ床面積39600m?の新館が1996年に完成、同年10月12日に移転、一般公開された。スキューバダイビングに挑戦!
素肌のエクステ
ゴルフレッスンの日々
こだわりのレストランを探そう!
クラシックのグッドナイト
アロマタイムスイッチ
コスメ・メイク図鑑博士
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車で行こう!道しるべ
WEBマーケティングノウハウ
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
40歳の素敵な出会い
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クロールアイドルNO1
こだわりキャンプ術
うらないカフェの秘密の部屋


博物館の外観は最上部に円盤を頂き、下部が鼎の形状を模している。さらに、一見『取っ手』のような半円形の構造物が最上部に弧を上、弦を下に東西南北に設置されている。

このような外観は、天円地方という古代からの中国の世界観、宇宙観を示していると同時に、鼎に代表される青銅器コレクションを示している。

上海博物館の収蔵品の内、耳目を集めるのは青銅器である。博物館の外観がそもそも青銅器を象ったものであるが、世界的に有名なコレクションである。無論、書画・磁器陶器・印璽・家具などの収蔵品も多いものの、青銅器コレクションに比肩するものは無い。また、全体に統一されているのは、書画・印璽等すべて全て清代以前のコレクションであり、近現代のものはほとんど収蔵されていないという特徴がある。


2009年06月13日

火入れ(ひいれ)とは、醸造した酒を加熱して殺菌処理

火入れ(ひいれ)とは、醸造した酒を加熱して殺菌処理を施すこと。火当て(ひあて)ともいう。火入れされる前の酒は、まだ中に酵母が生きて活動している。また、麹により生成された酵素もその活性を保っているため酒質が変化しやすい。また、乳酸菌の一種である火落菌が混入している恐れもある。これを放置すると酒が白く濁ってしまう(火落ち)。

そこで火入れにより、これら酵母・酵素・火落菌を殺菌あるいは失活させて酒質を安定させる。これにより酒は常温においても長期間の貯蔵が可能になる。しかし、あまり加熱が過ぎれば、アルコール分や揮発性の香気成分が蒸発して飛んでしまい酒質を損なう。そのため、これも加減が難しい。現在は通常は62℃ - 68℃程度で行なわれる。

火入れの技法は、室町時代に書かれた醸造技術書『御酒之日記』にもすでに記載され、平安時代後期から畿内を中心に行なわれていたことがわかる。これはすなわち、西洋における細菌学の祖、ルイ・パスツールが1862年に加熱殺菌を発見するより500年も前に、日本ではそれが酒造りにおいて一般に行なわれていたことになる[注釈 1]。

明治時代に来日したイギリス人アトキンソンは、1881年に各地の酒屋を視察、「酒の表面に“の”の字がやっと書ける」程度が適温(約130°F(55℃))であるとして、温度計のない環境で寸分違わぬ温度管理を行っている様子を観察し、驚きをもって記している。


火入れと「生酒」の関係 [編集]
火入れをしていない酒は「生酒」「無濾過生原酒」などとして人気がある。たしかにそういう「生」系の酒はみずみずしく、香りも若やいで華やかであり、また残存する微発泡感はのど越しもよく、それなりの商品価値がある。

しかし、一般にもたれている次のようなイメージはほとんど誤りである。

生酒は、火入れをしていないので、それだけ新鮮さが保たれている。
火入れは、酒の若さを失わせる工程である。
生酒は、蔵で飲めるしぼりたての新酒の味である。
火入れをしなければ劣化が早く、すぐに生老ね香を発する。正しい保存管理をしていない飲食店などでは、劣化した酒を5℃前後まで冷やし、冷たさでわからないようにして出しているところも多い。ゆえに火入れとは、かえってその酒の新鮮さを長く保つために行なう工程であるという人もいる。「生」系の酒の味は荒々しく、貯蔵・熟成を経た酒が持つ旨みやまろみ、深みに欠けるため、おおざっぱな言い方をすれば、筋金入りの愛飲家のあいだでは一般に火入れの工程を経た酒の方が好まれる傾向がある。しかし正しい保存管理をしていない「生酒」を飲んでいるために保存管理が楽な火入れされた酒が好まれているという面もある。火入れをすると酒の繊細さが失われるのは事実であり、保存管理さえ徹底されていれば火入れした酒にはない味わいがあることを忘れてはならない。
アジアの美術
よの付く言葉
スポーツのあゆみ
くの付く言葉
名犬マルチーズ
雨模様
猫ニャン
柴犬について
生命の誕生
りんごのほっぺ
版画
オークション
映画館
射撃
応用数学
トリックアート
証券取引所
乗馬
高血圧症
ゲートボール

刺身に代表される「生」の食文化圏である日本では、新鮮であることが抜きん出て好まれる。また日本の日本酒業界は、「生」や「辛口」で売り上げを伸ばしたビール業界の影響を受けやすい。それらの要因から、日本酒も上記のような「生」と銘打った商品が1980年代から増えてきたのであった。

そうした状況を「生酒ブーム」という表現で切り捨てる酒類評論家も多く、また近年の日本酒の消費低迷と関連づけて具体的な苦言を提している識者もいる

2009年06月09日

予防接種の種類

任意接種
希望者が各自、医療機関で受ける。接種費用は、全額自己負担となる。予防接種により健康被害が発生した場合は、医薬品副作用被害救済基金法による救済制度がある。
流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)、水痘(みずぼうそう)、Hib、A型肝炎、B型肝炎、肺炎球菌、狂犬病、ワイル病秋やみ等の他、定期接種の対象年齢層以外に対する1類疾病/2類疾病も任意接種となる。
定期接種
予防接種法に基づいて接種される。対象年齢の接種費用には自治体による公費助成が行われ、1類疾病については地方公共団体の多くで無償とされる(有償とする地方公共団体も存在)。予防接種により健康被害が発生した場合は、予防接種法第11条による救済制度がある。
外国語 宿泊施設 バスト 資産運用 養毛 エージェント 生命 美容整形 新築 成人病 寝具 家庭教師 贈答品 語学 予約 理容 キャンプ場 インプラント 旅行代理店 仏壇 フランチャイズ 懸賞 多汗症 バイク リラク リサイクル 学習指導 ゲーム 音楽 海外 脂肪吸引 ホテル 関東 フレグランス 就職 インプラント 資産運用 ローン 多汗症 生活習慣病 リラク 家電 検定 産業 専門学校 信越北陸 理容 建売 矯正 信託

1類疾病 - 接種対象者又はその保護者等に接種の努力義務が課される。
ジフテリア・百日咳・破傷風(3種混合ワクチン,DPT)、麻疹(はしか)、風疹(三日はしか)、日本脳炎、ポリオ(急性灰白髄炎)、結核(BCG)
2類疾病 - 接種の努力義務が課されない。
65歳以上、または60歳以上65歳未満で心臓や腎臓、又は呼吸器に重い障害のある人、AIDSなどに罹患し免疫力が低下している人の場合、インフルエンザワクチン

ワクチンの種類 [編集]
生ワクチン
生きた病原体の毒性を弱めたもの。麻疹、風疹、ポリオ、BCGが該当する。ただし、生の病原体を入れるため、接種した病原体により軽い症状(副反応)が出ることがある。
不活化ワクチン
死んで毒性を失った病原体の成分のみのもの。百日咳、日本脳炎、インフルエンザなど。ワクチンの効果は弱いため、何度かの接種が必要になることが多い。
トキソイド
菌が発生する毒素を取り出し、それを無毒化したもの。ジフテリア・破傷風が該当する。やはり不活化ワクチンと同じく、ワクチンの効果は弱いため、何度かの接種が必要になることが多い。

2009年04月25日

カピチュレーション

カピチュレーション(capitulation)とは、オスマン帝国が領内在住の外国人に対して恩恵的に認めた特権で、通商・居住の自由、領事裁判権、租税免除、身体・財産・企業の安全などを保障したもの。1536年にスレイマン1世がフランス王フランソワ1世に与えたのが最初で、1579年にイギリス、1613年にオラ

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ンダにも同様の特権が認められた。

カピチュレーションは当初、経済的・政治的に大きな意味を持っていた。つまり、経済的には首都イスタンブルを中心とした通商活動を活性化させるためであり、政治的にはフランスとの関係を密にするためであった。当時オスマン帝国とフランスは、ハプスブルク家という共通の敵を抱く関係にあった。そのような国際関係の中で、フランソワ1世は宗教の違いを越えて、スレイマン1世に援助を求めた。それに対し、スレイマン1世はオスマン帝国という「強国」の支配者として、「弱国」たるフランスに恩恵的に特権を与えたのである。

ところが、18世紀になると、オスマン帝国の衰退に伴い、カピチュレーションは西欧諸国による不平等条約締結の恰好の足がかりとされることになった。1740年にオスマン帝国がフランスに認めたカピチュレーションでは、スルタンから認められた一代限りの恩恵という形でなく、両国が対等な立場に立つことが定められており、オスマン帝国側に履行の義務が課されることになった。

2009年04月08日

ハイ・ファイ・セット

ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set) は、日本のコーラスグループ。1974年結成、1994年解散。

フォークグループ「赤い鳥」が路線上の違いから1974年9月に解散。「赤い鳥」のメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。後にメンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦(1947年2月23日 - 、大阪市出身)、大川茂(1945年9月6日 - 、三重県出身)の3人が同年10月に結成した。グループ名は細野晴臣の案による。

1977年、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(Morris Albert)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。NHK紅白歌合戦にも出場。以降、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバス・ヴォイスによる抜群のコーラスワークと都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇った。また、「卒業写真」や「冷たい雨」など、松任谷由実(荒井由実)の曲を数多くヒットさせ、後に松任谷自身のセルフカバーにより人気を引き上げる役割を果たした。

1980年にいったん活動停止するが、1年後に活動再開、4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓した。1984年には「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残す。1994年9月の解散後、山本潤子はソロシンガーとして活動している。

JR九州の社歌「浪漫鉄道」は、ハイ・ファイ・セットが歌っている。また、シャープの社歌『ひかりを超えて』も歌っている。

一時期、広松三和子を「サポートメンバー」として、4人でコンサートをしていたことがある。

テレビ出演 [編集]
NHKフォークフェスティバル(1977年8月27日、NHK総合)
NHK紅白歌合戦(1977年12月31日、NHK総合)
夜のヒットスタジオ(1978年5月8日・6月19日・11月27日・1979年2月26日・1983年5月16日・1984年1月30日・3月26日・1985年11月6日、フジテレビ)
クイズ面白ゼミナール(1981年10月15日、NHK総合)
ミュートマJAPAN(1984年4月2日、テレビ神奈川)
ミュージック・フェア(1987年9月6日、フジテレビ)
笑っていいとも(1987年9月30日、フジテレビ) - テレフォンショッキング
徹子の部屋(テレビ朝日)
おしゃれ(日本テレビ) - 山本潤子のみ

シングル [編集]
卒業写真 / 美術館(1975年2月5日)
「卒業写真」は映画『Watch with Me ?卒業写真?』主題歌
エイジズ・オブ・ロック・アンド・ロール / 胸のぬくもり(1975年5月5日)
夢うつつ / 夢うつつ(インストゥルメンタル)(1975年7月5日)
スカイレストラン / 土曜の夜は羽田に来るの(1975年11月5日)
「スカイレストラン」の歌詞は元々荒井由実の「あの日にかえりたい」の当初の詞だった
冷たい雨 / ファッショナブル・ラヴァー(1976年4月20日)
幸せになるため / 星降る真夜中(1976年6月20日)
「幸せになるため」は日本テレビ系ドラマ「たんぽぽ」主題歌
フィーリング FEELINGS / もうひとつのダンス(1976年12月1日)
風の街 / クリスタル・ナイト(1977年4月20日)
「風の街」はヤマハスクーター「パッソル」CMイメージソング
メモランダム / 個人的メッセージ(1977年7月5日)
恋の日記 THE DIARY / 愛こそすべて ONLY LOVE IS REAL(1977年10月20日)
少しだけまわり道 / レディー・グレイ(1978年4月20日)
あめりか物語 / 夏の別離(わかれ)(1978年8月20日)
「あめりか物語」は日本航空“COME TO AMERICA'78”CMイメージソング
熱帯夜 / 燃える秋 GLOWING AUTUMN(1978年11月5日)
「燃える秋」は映画「燃える秋」主題歌
よりそって二人 / 月曜日のプロローグ(1979年5月20日)
NOVENBER RAIN / BYE-BYE BOY(1981年10月21日)
ハロー Mr.Telephon / 故郷からの Air Mail(1982年3月21日)
miss you / 下町(ダウンタウン)Love ルネッサンス(1982年10月21日)
心離れるころ / LAST BALLAD, LAST COIN(1983年2月1日)
ラブストーリーはこれから / Blue Dream(1983年4月5日)
「ラブストーリーはこれから」は資生堂「ベネフィーク」CMイメージソング
素直になりたい DON'T YOU TELL HIM? / Good-bye school days(1984年1月21日)
「素直になりたい」はシチズンウォッチ「リビエール」CMイメージソング
水色のワゴン LIGHT BLUE WAGON / 7月のクリスマス CHRISTMAS IN JULY(1984年5月21日)
星化粧ハレー HALLEY / デミアン DEMIAN(1984年11月1日)
「星化粧ハレー」はカネボウCMイメージソング
Rainbow signal / Boy friend(1985年2月)
ひときれの恋 / 恋の Double fault(1985年10月21日)
プラトニックしましょ PLATONIC LOVING / とりあえず NARITA ANYWAY TO NARITA(1988年5月21日)
「プラトニックしましょ PLATONIC LOVING」はBVDCMイメージソング
今夜だけの恋人 / ムーンハイウェイ(1989年12月1日)
「今夜だけの恋人」はビクトリアCMイメージソング
Angels Fly ?天使の季節? / モーニング・フライト(1990年3月1日)
「Angels Fly ?天使の季節?」は日立エアコン「しろくまくん」CMイメージソング
忘れないわ / ABCをもう一度(1991年4月25日)
「忘れないわ」はテレビ朝日・火曜ミステリー劇場主題歌。作詞・作曲は小田和正[1]

オリジナルアルバム [編集]
卒業写真(旧タイトル Hi-Fi Set)(1975年2月5日)
OVERTURE / AGES OF ROCK AND ROLL / 卒業写真 / 胸のぬくもり / 今日と明日の間い / 大きな街 / 美術館 / 十円木馬 / フィッシュ・アンド・チップス / 海を見ていた午後 / 愛の花咲く道
Fashionable Lover(1976年6月5日)
星のストレンジャー / 朝陽の中で微笑んで / ジュ マンニュイ / フェアウェルパーティ / 冷たい雨 / ファッショナブル・ラヴァー / 荒涼 / 真夜中の面影 / 月にてらされて / グランド・キャニオン
「朝陽の中で微笑んで」は映画「凍河」主題歌
Love Collection(1977年2月5日)
オン・エニィ・サンデイ / 雨のステイション / 眠い朝 / まぶしい貴方 / 夜の傷 / クリスタル・ナイト / フィーリング / カントリー・ボーイ / 夢に見たジャマイカ / 中央フリーウェイ
The Diary(1977年9月5日)
恋の日記 / 風の街 / 遠くからみちびいて / メモランダム / 海辺の避暑地に / 愛こそすべて / 暖炉でマシュマロ / いつかスターに / 個人的メッセージ / リトル・バロック
Swing(1978年6月5日)
スウィング / 少しだけまわり道 / 火の鳥 / 夕空にハング・グライダー / 空港まで / 幕開け / レディー・グレイ / ダンス・ダンス・ダンス / オー・ラッキー・レディー / 君を行かせて
「火の鳥」は映画「火の鳥」主題歌。日本語バージョンは、ハイ・ファイ・セットの他、サーカスと、松崎しげるの競作だった。
Coming up(1978年11月20日)
ノックダウン / 流れ星 / ミッドナイト・エンジェル / ひとりぼっちのクリスマス / HAVANA CANDY / バーボン・トリップ / 月曜日のプロローグ / モノクローム / 夜空を南へ (WE ARE FLYING) / 冬の海
「夜空を南へ (WE ARE FLYING)」は森永製菓ハイクラウンCMイメージソング
閃光(フラッシュ)(1979年7月5日)
よりそって二人 / 最後の春休み / スクールバンドの女の子 / 22時15分 / レインワルツ アンド ラビングユー / スローダンス / きまぐれトランプ / 夜の長距離バス / 春が始まる日 / 歌を捧げて
QUARTER REST(1979年12月20日)
ブロードウェイで夕食を / 薄れゆくメロディー / 緑の町に舞い降りて / TWO IN THE PARTY / 雪どけを待ちながら / DESTINY / 微笑の翳り / 五月になったら / CONCERT LANE / PARTY IS OVER / P.S.
3 NOTES(1981年6月21日)
危険なフレンド・シップ / 人生はJam Session / LAST BALLAD,LAST COIN / ブーツと酒とウェディング・ドレス / I Love You Again / Bop's clubhouse / うぬぼれスマイル / 亜麻色の八月 / トリオ恋SOUNDS / starlight lullaby/
1&2(1982年4月1日)
BIG BRASS / ハローMr.telephone / 過去からディスタント・コール / ワオ!he's cookin' / NOVEMBER RAIN / 気があいすぎて・・・ / 故郷からのAir Mail / 窓いっぱいの海 / 真夜中のBye Bye-Show / Long Good-bye
I miss you(1983年2月21日)
下町(ダウンタウン)LOVEルネッサンス / 心離れるころ / Blue Dream / 負けるが勝ち / シーズン・オフのサンタクロース / Big Apple / Sentimental Morning / キャサリン / インディアン・サマーのふたり / miss you
PASADINA PARK(1984年2月25日)
水色のワゴン / 素直になりたい / 霧雨で見えない / 7月のクリスマス / 1999 / キャトリーヌ / Magic Moutain Lady / Viva! オフ・ローダー / 真夜中のTV / Good bye school days
INDIGO(1985年2月25日)
Rainbow signal / 恋愛狂時代 / Boy friend / シャンペンと地動説 / Milky way / 星化粧ハレー / Bloomin' blue / 恋のDouble fault / デミアン / 雨のSentosa / 星/導/夜
SWEET LOCOMOTION(1986年4月10日)
Rosy White / Sweet Locomotion / Do You Remember me? / ひときれの恋 / Elevator Town / Starship / June Flight / Vitamin L / Spring&All / たった一枚のフォトグラフ
Gibraltar(1987年4月1日)
Ceramic Smile / Time Table / 情事の終わり / 誰か踊ってくれませんか / 夏のフィナーレ / 秘密旅行 / 北極経由 / Paris Vision / 白夜 / 終着駅
EYEBROW(1988年3月21日)
プラトニックしましょ / シャドウラブ / Egg Benedict / スローナンバー / Too hot day / とりあえずNARITA / サブリナ / 寒い夏 / Pink Sand Dune / 観覧車
COLLECTION(1989年3月21日)ライヴ盤
White Moon(1990年3月21日)
ムーン・ハイウェイ / Angel Fly / 永遠のSunny Days / SHall We Dance Again? / 今夜だけの恋人 / モーニング・フライト / Blue Lagoon / Shoot the Moon / Gloria / 明日への贈り物
「永遠のSunny Days」は小堀住建CMイメージソング
「明日への贈り物」は日本テレビ系ドラマ「花真珠」主題歌
Get A Move On(1991年4月25日)
忘れないわ / 彼女の恋人 / GENESIS LOVE / 恋のルーレット / Sincerely / 流れ星の島 / ABCをもう一度 / 長い夢 / Promised Land / Tear of mother, smile of father
「GENESIS LOVE」は商工中金CMイメージソング
「忘れないわ」はテレビ朝日系「火曜ミステリー劇場」エンディングテーマ(前出)
Tender Loving Care(1992年4月22日)
ときめきより速く / 青空が哀しい / ささやかな祈り / ななつちがい / Dear My Friend / それぞれの地図 / All for You / 決心 / Little May Sick / 心のゆくえ

ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

2009年03月24日

名鉄モ40形電車

名鉄モ40形電車(めいてつも40がたでんしゃ)とは、かつて名古屋鉄道の起線・岡崎市内線で運用された路面電車車両の一形式である。

モ40形は初代と2代目がある。初代は元名古屋電気鉄道の貴賓車SC2である。SC2は一般車に格下げされ後に廃車されたが、太平洋戦争の車両不足のため復活したさいにモ40形(41)と改称されている(1949年にモ85形に再度改称)。ここでは2代目モ40形について記述する。

元々は名古屋鉄道(旧)が、旧蘇東電気軌道の路線を蘇東線(1948年に起線に改称)として開業するさいに、1924年(大正13年)に名古屋電車製作所で製造された、デシ100形(101?104)である。路面電車車両であるが、台枠や電装品は鉄道線用のデシ500形・デワ1形などで使用されたものを流用していた。

オープンデッキの木造二軸単車で、台車はブリル21-E、集電装置はポール、ブレーキはハンドブレーキと電気ブレーキを装備していた。しかし、台枠が鉄道線用のデシ500形からの流用のため、自重が10.2トンあり、同時期の木造二軸単車の路面電車と比べて自重が1.5倍重かったという。

現在の名古屋鉄道になった後、1949年(昭和24年)にモ40形に改称されるが、旧101がモ40形44、旧102?104がモ40形41?43となっている。この頃、集電装置をビューゲル化されたという。1949年(昭和24年)にモ40形44がモ40形40に変更されている。

起線は1953年(昭和28年)、電車の運行を休止してバス代行輸送とし、1954年(昭和29年)6月1日 バスが好評であったため、正式に廃止となる。モ40形は全車両が岡崎市内線に転籍となる。このさい、方向幕が取り付けられた。

1960年(昭和35年)、全車両が廃車となる。

主要諸元 [編集]
全長:8,077mm
全幅:2,267mm
全高:3,824mm
自量:10.2t
定員:42人(内座席12人)
電気方式:直流600V(架空電車線方式)
台車形式:ブリル21-E
主電動機:26.1kW×2基

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2009年03月08日

世界のフォアグラの生産量は西暦2000年

主な産地はフランス。世界のフォアグラの生産量は西暦2000年で約1万8000トンだが、そのうちフランス産は1万5300トンにも及んだ。フランス国内では、南西部のペリゴール地方(現ドルドーニュ県)とランド県が主産地で、ガチョウと鴨の両方のフォアグラが生産されている。南西部全体での生産量は、フランスの生産量の75%を占める。また、アルザス地方のストラスブールやラングドック地方のトゥールーズも、産地としてよく知られている。不足分は、オーストリアなどからの輸入品でまかなわれている。
ガチョウよりも鴨の方が飼育が楽で、病気にも強いことから、今日では鴨のフォアグラの生産量は増加傾向である。

ハンガリーのドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方、Dunántúl)でも昔からフォアグラの生産が行われており、輸出も盛んである。

調理法
パテに加工し甘めの柔らかいパンに塗って食べるか、ソテーして食べるのが一般的だが、トリュフ入りのパイ包み焼きのような、パイ料理の素材としてもよく使われる。フォアグラとトリュフを乗せて焼いたステーキは、ロッシーニ風トゥルヌドステーキと呼ばれる。フランスでは、伝統的にソーテルヌなど甘口のワインと合わせる。

フランス人の多くにとってはクリスマスや新年前夜の晩餐(レヴェヨン、Réveillon)などでしか口にすることのない珍味であるが、近年になって生産量が増加したため珍しさは薄れてきている。中には一年中フォアグラを賞味する地域もある。

動物虐待論
上記のように、ガチョウ(鴨)に飼料を大量に無理矢理食べさせて脂肪肝を発症するまで肥大させることで製造することから、古くから不自然な食材としてこれを否定的にみる議論も見られた。例えば、昆虫学者のファーブルも、嫌って食べなかったことが伝えられている。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

今日ではアニマルライツ(動物の権利)論の高まりなどもあり、PETAなどの動物愛護団体は動物虐待であるとして反発している。

各国の法規制の動き
欧州
欧州評議会の「農業目的で保持される動物の保護に関する欧州条約」加盟国35カ国では、フォアグラの生産は「すでに定着している場合を除き」、1999年に禁止された。

イタリア、オーストリアの6州、チェコ、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、ポーランド、ルクセンブルクの各国では、「動物の強制給餌」自体が禁止されたことにより、フォアグラの生産は事実上、違法となった。(外国産フォアグラの販売は必ずしも禁止されていない)。

また、アイルランド、イギリス、スウェーデン、オランダ、スイスでも、動物保護法の解釈上、フォアグラの生産は違法とされている。

現在は、世界2000年の生産量18,000トンの内、15,300トンがフランスで生産され、ほぼフランス一国で生産しているに近いという状況である。2005年10月、フランスの国民議会が農業政策に関する包括法の一部として、フォアグラは仏文化の遺産であるとした法案を全会一致で可決した。その際、フランスが世界でフォアグラの80%以上を生産していることを指摘し、保護すべき仏文化、料理の貴重な遺産であると宣言。カモやガチョウの強制肥育についても、他に方法はなく止むを得ないとして、擁護する姿勢を鮮明にした。

アメリカ
2004年9月29日、アメリカ・カリフォルニア州は、州内で「肝臓肥大を目的とした鳥類の強制給餌」と「強制給餌によって作られた製品の販売」を2012年以降禁止する法律を施行した。

また2006年4月には、イリノイ州シカゴに於いてのフォアグラの販売が、市議会の決議によって全面的に禁止された。

その他
アルゼンチンでは、フォアグラの生産は動物虐待に当たるとして、禁止されている。

イスラエルでは、2003年8月に最高裁が農林水産省に対しガチョウの強制給餌を禁止するよう指示し、2006年2月以降禁止された。

その他の動き
機内食からフォアグラを排除した主要航空会社の例としては以下が挙げられる。

スカンジナビア航空
KLMオランダ航空
エア・カナダ
デルタ航空
ユナイテッド航空
アメリカン航空
ニュージーランド航空
2007年3月、アカデミー賞公式シェフのウルフギャング・パックは、動物愛護の観点上、自身の経営するレストランチェーンやカフェに於いてフォアグラを使用した料理は提供しないことを宣言した。

2009年02月20日

仮装巡洋艦バシリスク

仮装巡洋艦バシリスク(かそうじゅんようかん?、ISBN 4150302006)は、谷甲州のハードSF中編集。また表題作に登場する同名の惑星間航行型戦闘艦艇。他の作品群と共に、航空宇宙軍史シリーズの一角を成す
ラージヒル ニズム グアナコ キナパー レール ソング ジョッキー ロール ヒアシン オイヒバ アース ピーピーシー ダイエ バッグ リプレース おたま キング アルタイ キング マネキ ぴんぞろ エッジ プロテク ニバナ ヒッチハイ ひこうき ハバネロ ハムエ てんえい プリオン 相合傘相 マッサ ヤダケ ビネガー ファンド イヌイッ モルドバ コマソン カートン てんま りゅうちょう アラス マヌカン アナカン セフレ デビュー スリッペ ノンプロ ライトノ たいむ

『星空のフロンティア』
2076年、航空宇宙軍における5年間の定期兵役を終えた「俺(ジョー・シマザキ)」は、会ったこともない母親が25年前に起こしたという事件の賠償として、170年間もの兵役を命じられる。航空宇宙軍のあまりに性急な恒星間探査計画をいぶかしく思いながらも、「俺」は甲板員として外宇宙艦隊の支援艦、シビル11に乗り組み、かつて銀河系中心へ向かったという探査船、オディセウス-0の航跡を追う。ついに「超光速シャフト」と接触したシビル11だが……。
『砲戦距離一二、〇〇〇』 - 英語訳が存在。#外部リンクを参照。
第一次外惑星動乱さなかの2100年、航空宇宙軍船団の直衛にあたっていた警備艦は、小惑星帯において、赤外放射を押さえ「死んだふり」をする敵機をレーダーに捉える。機動爆雷と判断し手順通りの攻撃を加えるが、これをかわした敵機は思いがけない超長距離レーザー砲撃により船団を壊滅させる。警備艦も万事休すと思われたが……。無人砲艦ヴァルキリーが初登場。
『襲撃艦ヴァルキリー』
外惑星動乱から130年後の2230年、プロクシマ星系へと向かう船団の旗艦に乗務するダツ中佐は、先導艦から未確認物体の接近を告げられる。さらに、目的地である第一惑星のケイロンで非合法組織による恐喝事件が発生、船団を人質に要求を突きつけているという。接近中の物体 = ヴァルキリーによって、射程外から船団を破壊できるのだ、と……。ヴァルキリーのさらに後方から接近する、もう一つの光点の正体を探る中佐のもとに、艦隊司令長官から通信が入る。やむを得ず要求を呑むというのだが、このとき先導艦は既に撃破された後だった。どうなっているのか……?
『仮装巡洋艦バシリスク』
シリウス星系に滞在するカンチェンジュンガ級宙域制圧戦闘母艦の3番艦「アコンカグア」所属の艦載哨戒機、グルカ107は、太陽系方向から飛来する物体との邂逅を命じられる。その物体、仮装巡洋艦バシリスクは、150年前の外惑星動乱時に太陽系を離れたものだったが、現在の慣性速度ではシリウス到達には3,000年かかるはずであった……。幽霊船のようにも思える艦内を調査する大崎一曹は、メモリイ・バンク記録の消滅を危惧した艦長が残した手書きのノートを発見する。読み進めるうちに、驚愕の事実が明らかとなる。エアロックに船外服が一着しかなかったのは……。『星空のフロンティア』と共に、『終わりなき索敵』とリンクする。

バシリスクについて

建造経緯
第一次外惑星動乱開戦前夜、増大する航空宇宙軍の脅威に対抗する手段として外惑星連合のタイタン軍が建造した仮装巡洋艦のうちの一隻。航空宇宙軍が保有する正規フリゲート艦とは違い、共通規格の大型輸送艦をベースに軍用に改装しているため、装甲及び加速性能が著しく劣るが、その分大量建造が可能だった。

主兵装・定員等
艦長はニルス・ヘルナー中佐。主兵装は航宙爆雷。必要に応じて機雷も搭載することが可能。定員は通常はドクター要員を含めて九人だが、もとが輸送艦なだけに多少の余裕を見越して設計されているらしい。

劇中の活躍
第一次外惑星動乱開戦直前まで、タイタン軍情報収集船。2099年2月にはラグランジュ-2にあるセレーネ市に入港していた。 この際、タナトス戦闘団隊長のヘロム・?ダンテ?・フェルナンデス中佐を収容し治療した。 直後にタイタンに帰港、仮装巡洋艦としての改装を受ける。

第一次外惑星動乱開戦時には月・地球系の奇襲に参加。静止軌道上のアトランティック・ステーションを攻撃、太陽でスイングバイし、外惑星に向かう軌道を取って離脱した。航空宇宙軍の軍令部を攻撃し、内惑星系の防衛網を突破して外惑星系に離脱するという大胆な指揮であったが、水星系などの防衛網が貧弱であったために却って損傷を受けることがなかった。 帰還にあたり、月面セント・ジョージ市を襲撃したタナトス戦闘団の一部を便乗させている。

本作戦を含め、12回の作戦行動に従事。13回目の出撃時にゾディアック級フリゲート「タウルス」を含む艦隊の攻撃を受けシリウス方向に離脱。タウルスのレーザ砲撃を受け減速不能に陥り、船籍を抹消された。

2009年02月04日

豊臣氏(とよとみうじ/とよとみし、豐臣氏)

豊臣氏(とよとみうじ/とよとみし、豐臣氏)は、「豊臣」の姓を下賜された氏族。
フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

豊臣姓とは、天正時代に関白となって政権を掌握した羽柴秀吉に与えられた本姓である。

1585年(天正13年7月11日)、関白に任じられた羽柴秀吉は近衛前久の猶子となり藤原氏を名乗っていたが(関白相論)、前例のない他姓出身者の関白就任には多くの反発が予想された。そこで秀吉が多くの学識者から意見を聴取した結果、朝廷より源平藤橘(源氏・平氏・藤原氏・橘氏の総称)に匹敵する新姓を賜ることが公明正大であるという結論を得た。その結果、佳姓を撰んで豊臣の新姓使用を朝廷に奏聞し、1586年(天正14年9月9日)に勅許を得た[1]。

これ以降、秀吉をはじめとする羽柴家の人物は自らの名乗りに専ら「豊臣」を使うようになり、いかなる名字も使用した形跡は無い。[2]秀吉達の潜在的な名字が「羽柴」であったという見方は存在する[3]が、当時の紀伊国造家や津守氏のように本姓はあっても名字の存在しない家や、源義高流源氏のように姓と名字が同一の例も存在するなど名字と本姓が必ず別であるという規則は無いこともあり、豊臣宗家の名字を断定することは出来ない。

「豊臣氏」は本姓であって、「織田」(本姓は平朝臣)や「徳川」(本姓は源朝臣)などといった名字とは性質が異なる。本姓による名乗りでは、姓と諱の間に氏への所属を意味する「の」を入れるのが原則的な読み方であり、[4]この原則に従うと「豊臣秀吉」は「とよとみ・の・ひでよし」と読むことになるが、この原則が当てはまらない事例も相当数ある。[5]本姓と名字の区別が廃されて久しい今日では、「豊臣」姓が「羽柴」と同様の名字であると誤解されやすくなっている。そのためか、豊臣氏の人物の名前は「とよとみ・○○○○」と言った具合に「の」抜きで呼ばれることが一般的になっており、「とよとみ・の・○○○○」という本来的な読み方で呼ばれることは極めて少なくなっている。[6]

『豊臣』の由来ははっきりしておらず、「聖徳太子の名前「豊聡耳(とよとみみ)」から取られたという説などがあるものの、現在のところ定まった見解は無い。[7]

擬制的な一族としての豊臣氏
凡下平民の出自でこれといった一門衆家臣団を持たない秀吉は、有力家臣である大名や武家に任官の際に豊臣姓や羽柴の名字を与え、「羽柴(官職)豊臣朝臣某」(例・羽柴大納言豊臣朝臣家康)もしくは名字は与えず「某(官職)豊臣某」(例・片桐東市正豊臣且元)と名乗らせて自らの一族とみなし、自らは豊臣氏の氏長者となることで統治しようとした。この点で豊臣政権は、松平の名字や源氏姓を親族や外様の有力大名に許した江戸幕府と同じである。

江戸時代の豊臣氏
のちに徳川家の覇権が確固たるものになっていく過程の中で、豊臣朝臣を与えられて羽柴氏を名乗ることを許されていた大名たちは、豊臣朝臣の本姓を捨てて「羽柴」を公称しないようになっていった。江戸時代を通じて豊臣朝臣を本姓とし続けた大名家は、秀吉の正室・高台院の実家である木下家だけである。明治維新後に本姓と名字が法的に一本化されて現在見られる姓のあり方に統合されていくまで、木下家は本姓を変えることがなかった。

日本史関係の書籍やテレビ番組などでは「大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡した」と説明されることが多いが、これは大坂城主の豊臣宗家のみを指して「豊臣家」と呼ぶことが一般的であるためであり、豊臣氏全体が滅亡したという誤解を生じさせかねない不正確な表現である。前述のように、実際には外戚の豊臣氏族(高台院側の血筋である木下家)が健在であったので、豊臣氏自体は江戸時代を通じて大名として存続している。また豊臣宗家の高台院自身も晩年に養子をとり、甥を「羽柴利次」と名乗らせ社稷を継承する者とした。高台院没後は幕府から「羽柴」を称することを禁じられたため、木下利次と改名して高台院の遺領を継承し旗本として存続した。

氏族としての豊臣氏の歴史
氏族としての豊臣氏は、羽柴秀吉の兄弟姉妹および彼らの子孫たちからなる一族であるといえる。

秀吉は乏しい親族を取り立て、弟秀長を大和国郡山100万石、甥秀次を近江国八幡43万石にとそれぞれ取り立てた。1589年には実子鶴松が生まれ、後継者と定めていたが、1590年に天下統一を果たした直後の1591年には秀長と鶴松が相次いで死亡する。

落胆した秀吉は甥秀次を後継者と定め、1591年に関白職を譲る。しかし、秀吉は全権を譲らず、太閤(※本来、太閤とは子弟に関白を譲った人物を指す)と呼ばれつつ豊臣宗家直轄領と軍権を掌握しつづけたので、次第に二重政権の矛盾が表面化してきた。しかも1593年に秀吉に再び実子秀頼が生まれ、秀吉と秀次の対立は決定的に悪化してしまった。1595年、秀吉は秀次を高野山に追放し、切腹させる。これによって二重政権は解消され、豊臣政権は再び秀吉のもとに一元化されるが、政権の正統性の拠り所である関白職は豊臣宗家から失われた。また、秀長を継いだ秀保もこの頃死に、豊臣宗家を支える血族の藩屏は存在しなくなった。

1598年に秀吉が死ぬと、後事を託された有力大名の中から徳川家康が台頭し、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成ら豊臣政権擁護派の諸大名を倒し、覇権を打ちたてる。1603年に家康は征夷大将軍に就任して江戸幕府を開き、1605年には将軍職を子の徳川秀忠に譲って徳川政権の正統性を確立していき、豊臣宗家は全国政権の座から完全に滑り落ちてしまった。

しかし、徳川政権の確立していく様を見ても、豊臣秀頼は一大名として徳川将軍に臣従することを認めなかった。これに後顧の憂いを感じた家康は、1614年に大坂冬の陣を起こし、さらに翌年の大坂夏の陣で大坂城を落とし、秀頼らを自害させる。秀頼の遺児・国松は、同じ慶長20年5月23日(グレゴリオ暦1615年6月19日)に京の三条河原にて処刑され、ここに秀吉の興した豊臣宗家は断絶した。

なお、国松は薩摩に逃れて島津家にかくまわれ、豊後国日出藩木下家の分家である交代寄合木下家の祖・木下延次になったという異説がある。その子孫は現在、先祖の豊臣姓を苗字に名乗っているという。しかし、幕府に認められた正式な豊臣氏の継承者は、高台院が晩年にむかえた養子の羽柴利次(実父は小早川秀秋の兄・木下利房)とされている[要出典]。

氏族としての豊臣氏の人々

豊臣秀吉家
豊臣秀吉
高台院(杉原定利の娘、秀吉の正室。北政所。公式な名は豊臣吉子)
羽柴秀勝 (石松丸)(夭折)
豊臣鶴松(夭折、秀吉の側室淀殿の子)
豊臣秀頼(秀吉の側室淀殿の子)
豊臣国松(秀頼の子、斬首刑死)
天秀尼(秀頼の子)
羽柴秀勝(秀吉の養子、織田信長の子)
豊臣秀勝(秀吉の養子、姉日秀の子で三好吉房の次男)
豊臣完子(日秀の子である豊臣秀勝の娘、九条幸家室)

秀吉の親族
大政所(秀吉の母。木下弥右衛門室、竹阿弥室。公式な名は豊臣仲子)
日秀(木下弥右衛門の子、秀吉の姉。三好吉房室)
朝日姫(竹阿弥の子で秀吉の異父妹。徳川家康継室)

豊臣秀次家
豊臣秀次(秀吉の養子、秀吉の姉日秀の子で三好吉房の長男)
豊臣仙千代丸(刑死)
豊臣百丸(刑死)
豊臣於十丸(刑死)
豊臣土丸(刑死)
一ノ姫(刑死)
隆精院(真田信繁側室)
お菊
豊臣秀長家
豊臣秀長(竹阿弥の子で秀吉の異父弟)
女(秀長の娘、豊臣秀保室)
女(秀長の娘、毛利秀元室)
豊臣秀保(秀長の養子、秀吉の姉日秀の子で三好吉房の三男)

豊臣秀勝家
豊臣秀勝(秀吉の養子、姉日秀の子で三好吉房の次男)

高台院の親族
豊臣秀俊(秀吉の養子。高台院の兄・木下家定の五男。小早川秀秋)
羽柴利次(高台院の養子。高台院の甥・木下利房の息子)

2009年01月21日

10本のピンと呼ばれる棒をめがけて

ボウリング(bowling)とは、プレイヤーに対して頂点を向けて正三角形に並べられた、10本のピンと呼ばれる棒をめがけてボールを転がし、ピンを倒すスポーツ。日本での漢字表記は十柱戯。ワールドゲームズ参加競技、アジア競技大会の正式競技種目、国民体育大会の競技である。

1ゲームは10のフレームから構成される。第1?9の各フレームは2回投球できる。1投目にストライク(1投で10本のピン全てを倒すこと)が出た場合はその1投のみで次のフレームに進み、それ以外の場合は残ったピンをそのままにして2回目の投球を行う。1投目で残ったピンを、2投目で全て倒すことをスペアという。第10フレームは、ストライクもしくはスペアが出た場合には計3回の投球を、それ以外の場合は2回の投球を行い、ゲーム終了となる。

通常、ボウリングを行うための専用施設であるボウリング場で行われる。ボウリング場は中にいくつものレーンがあり、ピンセッター(ピンを自動的に並べる機械)やボールリターン(ボールをプレイヤーの元に送り返してくる仕組み)などを備えているのが普通である。様々な重さのボールの他に、専用の靴なども貸し出している。

起源
もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて古墳から木でできたボールとピンが発掘された[1]事から、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。

しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世ドイツのマルティン・ルターが倒すピンを9本にし、並べ方もひし形に統一していったことが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている。9本という決められた数のピンを倒すという行為は、やがてナインピンズ・ボウリングという一つのスポーツとして派生し宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えた。このことから宗教革命家と知られるルターは、現在のボウリングの基本的なルールを統一した意外な功労者でもあるといえる。また、ドイツの一部の地域では、いまだにその名残としてピンの数が9本でプレイする地域も存在する。

17世紀になると多数の宗教家(清教徒)たちがアメリカに移住した事で、アメリカでもボウリングが盛んになった。アメリカでは更にボウリングを面白くするためにピンの数を10本に増やし、並べ方も正三角形に変化していったのが現代のボウリング(テンピンズ・ボウリング)だとされている[2]。

日本
日本では1861年6月22日に、長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。これを記念して、現在6月22日はボウリングの日とされており、その日限定で割引サービス等をやっているボウリング場もある。なお、当時、坂本龍馬が長崎に居留していた英国人貿易商グラバーと交流があったことから、日本ボウリング資料館の開館を報じるボウリングマガジン誌において、龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれないという願望を含んだ記事が掲載されたが、そのような事実があったという確たる証拠が存在しているわけではない。1970年前後には、スター・プレイヤーである須田開代子・中山律子らの出現などがきっかけとなって、当時は数百メートルごとにボウリング場があったほどボウリング・ブームと呼ばれる流行ぶりを示した。このブームは1973年の石油危機により一旦終息するが、1979年頃から人気が再燃し、当初のブームには至らないものの、現在でも安定した人気を得ている。

現在もスポーツ人口が増えており、体操と並んで国民に最も馴染みの深いスポーツの1つである。また、スポーツ競技と定義されているが、男女問わず、手軽な集団レクリエーション・ゲームとしても浸透しており、あまり経験の無い人も参加しやすい性質を持つと言える。
はにー ファイバ ていん| ジェス オフス たけざお おはじき 一等星 アップ ファー イコノロジー プロテイ ローカル シンプ けん蔵 フリース メモリー はこだて マルチ パルプ シェーバー トライアン ミンク ブティッ 翠の月 ゲスロ コピペ シエラ ネガティブ ずいき ゼンマイ きない トロッ デニール プロデビー ハネム オフタ リヤカー ドーミー カーウォ ボーイ 三和音 ゾル ぎぼう 大逆転 小さい魔女 ソダラ 夢列車 ゴスロ マジッ

1861年(文久元年) 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープン。地元新聞に広告が掲載される。
1952年(昭和27年) 東京・青山に初の民間ボウリング場がオープンしたが、当時ボウリングはまだ珍しいもので、上流階級の人たちだけが出入りする特別な場所だった。
1955年(昭和30年) 現在の全日本ボウリング協会の前身「日本ボウリング連盟」設立。初代会長は、安西正夫
1961年(昭和36年) 日本がボウリングの世界組織であるFIQに加盟する。ここから日本のボウリング界は世界へと道を開いてゆく。また、この頃からボウリングの機械化が進み始める。それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンをもとどおりにするという人力に頼ったものだった。
1964年(昭和39年) 現在の全日本ボウリング協会JBC (Japan Bowling Congress) 設立。
1970年の終わりごろ、スコアをボウラーが計算しなくても済む、計算機能を持った機械が実用化され始める。この頃から、日本ではボウリングのブームがおきはじめる。当時ボウリング場は全国に3880センターを超えていたが、現在は約1000センターまでに減っている。
1978年(昭和48年) JBC、財団法人になる。
1983年(昭和58年) JBCが日本体育協会の加盟団体となる。
1986年(昭和61年) アジア競技大会で(ソウルで開催)日本は12種目中6個もの金メダルを獲得する。
1988年(昭和63年) ソウルオリンピックでエキシビジョンゲームに採択される。
材質:ウッド(手前側がメープル(楓)、奥側がパイン(松))、もしくはプラスチック。ウッドレーンには定期的なリコーティング(塗装の塗り直し)、リサーフェス(表面を削って平らにする補修)が必要であり、主流はプラスチックに変わりつつある。プラスチックのレーンはシンセティック(合成)レーンとも呼ばれ、違和感が無いように表面に木目がプリントされている。
レーン幅:1,066 mm (39枚の板からなる)
レーン長さ:23.72 m (レーンの一番手前にあるファウルラインより1番ピンまでは 60フィート = 18.288 m)
近年は専用のボウリング場だけでなく、体育館等に設えた特設のレーンを会場に行うケースも増えている。NHK衛星第1テレビジョンで放送された「ジャパンカップ」の中継によると、専用レーンでは限られた収容人員しか見学できないため、特に注目されるテレビマッチなど、できるだけ多くの観客にボウリングを楽しんでもらいたいという趣旨から、体育館等に特設のレーンを設えて試合を行う「アリーナファイナル」などを行う機会が増えたと説明する。

直径:約 21.8 cm
重さ:4ポンド (1.81 kg) から16ポンド (7.25 kg)(ハウスボール、つまりボウリング場に用意されているボールはポンド刻みだが、マイボール、つまり個人所有のボールはより細かく、ポンド、オンス(1ポンドは16オンス)で表される。重い方がピンに弾かれにくいが、重過ぎるとスピードや回転が少なくなってしまうため、体力や技術に合った重さを選ぶのが肝要である。)
表面材質:硬質ラバー(エボナイト)、ポリエステル、ポリウレタン、リアクティブウレタン(ポリウレタンに可塑剤を添加したもの)、パーティクル系(リアクティブウレタンにガラスバルーンやカーバイドなどの粒子を添加したもの)に大別される。材質によりレーンとの摩擦が異なり、ボールの軌跡に大きく影響する。2005年9月、ボウリングボールとしては全く新しい素材であるエポキシ樹脂のボールが発売され、動向が注目されている。
シェル:ボールの表面素材の層。
コア:ボール内部の高比重の部分。本来は重量調整のためのものだが、バランス効果を得るため様々な形状や比重のものが使われる。従来は、ほとんど全てが軸対称だったが、1990年代後半から非対称コアを持つボールが次々に発売され、1つの流行になっている。非対称コアの持つ効果はマスバイアス(提唱者である M. ピネル氏の造語)と呼ばれるが、その有効な利用方法はまだ確立されておらず、力学的な解明が待たれる。
ウェイトブロック:コアとは別に、バランス効果を得る目的でボール内部に埋め込まれた高比重の部分。ウェイトブロックによりバランス効果を得るタイプは1980年代のボールによく見られたが、現在のボールの大半はコアが変形してウェイトブロックの役割を兼ねるタイプであり、安価なポリエステルボールなどに使われるのみとなっている。

ピンセッター
レーンの奥にあり、ボウリングの倒れたピンを回収し、自動的にピンをセットする機械。ピンとボールを回収し、ボールとピンを分別、ボールはプレイヤーに戻し、ピンは向きをそろえて立て直す。ボウリングにおいて最も主要な装置であり「ボウリング・マシン」と呼ばれることもある。なお、ピンセッターマシンには、次のようなメーカーがある。

BW(日本ブランズウィック)- http://www.brunswick.co.jp/
AMF(ダイフクキュービカエーエムエフ)- http://www.dqa.co.jp/
BOWL-MOR(ダイフクボウルモアー)- http://www.bm-net.gr.jp/
ODIN(古河機械金属、製造中止→古河コマース)
この外紐付としては、SM(シュミット)やLS(ランシング)があった